そうだ京都、行こう2018 晩秋(2)八相の庭と高みの見物
11月23日 3連休の初日
京都駅から電車を利用せず、早歩きで到着。
紅葉のメッカなので混雑していることは覚悟していたが、通天橋のチケットを買うだけで法堂を過ぎるくらいまで並んでいるとは思わなかった。
通天橋の入り口と拝観券売り場、法堂周辺には団体客が何かを待っている。
ああ、通天橋の入場開始時間か・・・を待っている連中でごった返している。
よって、私はそれら人ごみを貫いて、本坊庭園へ。かつて八相の庭と呼ばれた、重森三玲さんが作庭した代表作とも言える。
まずはお庭をゆっくり眺める前に、通天橋の状況を確認し、まるで平日の総武線が運転中止となり、慌てて東京メトロ東西線が混んでいく様を見ている気分になってくる。
取りあえず、メインディッシュまで時間がない。
方丈を囲む4つの庭を楽しもう。
南側の庭園
言わずもがな、南側の庭が顔のようなもの。
オーソドックスな蓬莱神仙の思想を石組みと玉石や砂で表現する。
重森三玲らしい、ダイナミックな石組みを知ってから、他のお庭を見ても、もしかして重森さんの庭かな?なんて素人ながらに想像するようになりました。
通天橋に入場した人たちは混雑してもしばらくはそこから抜けることもできない。
本坊庭園にも少しずつ人が入ってくる。
その人たちは通天橋を諦めた人か、最初から本坊庭園を目指してきた人たちか。
塀の高さでしか区切っていないのに、外の喧騒はここまで届かず、庭を眺めるときに基本、腰を下ろしてしばしの間、ぼーっとする。
NHKのテレビ番組でも特集が組まれましたが、
モダンだね
三玲さんがくわえたばこのまま、熊手ですーっと円を描く様子が目に浮かぶ
京都五山も苔で表現しているけど、庭を作った直後はこんなに苔むしていなかったのだから、三玲が先々まで予想して庭を造ったのか?
想像も超えるくらい、彼の死後も伝統とモダンを兼ね備えて進化しているのか。
早歩きした脚の疲れは癒えてきました。
立ち上がり、西の庭に
こちらに来ると塀の向こうが通天橋。
喧騒は聞こえないが、なんとなく人の圧迫感が空気を伝わってくる気がする。
西庭、「井田の庭」
市松模様を形成しているサツキも当初は3cm程度の高さだったとのこと。
通天橋を眺めることはもうせず(笑)
北側の庭へ
まあ、重森三玲さん以外はなかなか思いつかない、思いついても実行しないであろう庭
小市松の庭
まだまだ人が少なく、写真も撮りやすい。
荒れた東福寺さんの庭を整備する際、重森三玲さんは私財を払い、東福寺さんから永代供養の申し出と、モノを大切にし、捨てないでという条件を出される。
先ほどの井田の庭もそうだが、ここでもかつての敷石が再利用されている。
庭が完成した頃のこの庭の写真を見たが、こんなに苔がモリモリとしていない。
今とはずいぶんと雰囲気が違っている。
市松模様自体も、突飛でなく意味がある。
重森三玲の庭にはテーマが込められていることが多い。
蓬莱神仙思想のような普遍的なテーマもあれば、キリシタン大名の菩提寺だから、石組みでそっと十字架を表し、その線上に和風の石灯篭でなく、キリシタン灯篭が添えられていたり。
市松模様も同じ感覚で、同じパターンで並んでいる訳でなく、段々と疎になっていく様も分かる。
もしかしてと期待していたのがこの眺め。
重森三玲はあまり借景に頼らない庭を造っているが、ここでは紅葉と苔の緑の競演がみられるのだが・・・
まあ、仕方がない。
それでも所々で日が差して、黄色や赤の木々が迎えてくれる。
北の庭から東側の庭に向かう際に目に入ったのが
こちら
方丈の壁面に添えられている。
高さが1m50cmあるんですよ。
そして、墨ではなくこれは苔なんです。
『モッシュ印』
と言います。
御朱印と苔(モッシュ)を掛け合わせた造語。
横には丸い水槽というかアクリルケースにミニチュア版の苔庭が飾られていました。
ただし、気温差で曇って中が見えない。
本物の苔が中にあって、寒暖差があるからかな。もう少し気温が上がってくると見やすくなるかもしれません。
その写真は何が写っているかさっぱりわからずに削除です。
東の庭
こちらも無駄遣いをしないというコンセプトの象徴的な庭
東司の礎石を再利用。
東司とはトイレ。
それで北斗七星を描き、庭と宇宙をつなぐ。
作られた庭もすごいがイマジネーションがすごい。
絵もかき、茶道も華道もやった。
「才」
なんだろうな。
もっとゆっくりしたいが、メインディッシュがある。
今回の京都旅行の目的、そのすべてであり、紅葉も二の次である。
まだ拝観時間になっていないが、もう頭には「龍」しかない。
そして、「不離」しかない。
さあ、次へ行きます。11月23日AM8時50分のこと。
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