西の姉と弟 [競馬]
ついに来てしまった。
姉と弟が同じレースに出走します。
まあ、それ自体は珍しいことではなく、またワンツーフィニッシュの記録もあります。
ニシノアモーレとニシノベースマン。
私のブログにも度々登場し、両馬ともにMY注目馬。そしてニシノベースマンはPOG登録馬。(ニシノアモーレがPOGでないのは、その時POGに参加していなかったから)。
ニシノフラワーの娘である、ニシノマナムスメ。
ニシノマナムスメとコンデュイットの娘がニシノアモーレで、翌年のノヴェリストとの息子がニシノベースマン。
異父きょうだいだが、まあ、マウントロブソンとこの兄弟と同じように脚質や適性距離がこの姉弟は似ている。
オーナーである西山さんが、基本的には出走レースの選択は厩舎(調教師)に任せるタイプなので、この日を迎えるのではと思っていた。
審判とビデオと審判員とAIと [ライフ]
何かを懸けている、賭けている人にとって、判定は明暗を分ける。
競技場に高性能化したカメラとそのテレビ放映、観客によって撮影された膨大なデータにより、審判や判定員が下した裁定が間違いだったことが分かりやすい時代になった。
俺がルールブックだ!と言っていなくても、言い切って最後まで判定を変えないというのも、審判を選定して競技をすると決めたのだから、そのルールの中では従うべきなのでしょう。
その審判さんは、ストライクゾーンのど真ん中はボールだ!というルールブック改定も行ったようですが(笑)。
さらにスポーツ記者の写真までそれを間違いだと言ってのける。VARにも間違いだというのかな?
でも、スポーツのいろんな分野にもテクノロジーが導入されて判定の根拠となってきた。
ジョージ [ライフ]
もう、10年以上お世話になっております、ソネットブログ。
なぜ、ソネットブログなのか?と聞かれたら
自宅の回線(当時はADS)契約がソネットだったから。
ブログの管理画面を開ける回数がめっきり減っているのでソネブロ運営からのお達しを見逃していた。
桃色の [ライフ]
異動して2か月が経過した。
会社勤めして、ステップアップのために異動は必要。
そんな理由以外に部署ごとの綱引きもある。
元の部署は出したくないのかもしれない。逆にどこか引き取ってくれないかと放出リストに挙げているかもしれない。
異動した部署は、とにかくあいつが欲しいと言っているのかもしれない。逆に、なんで貧乏くじを引かなきゃいけないんだ!ということかもしれない。
その両方かもしれないし、いずれでもないかもしれない。
何回か移動を経験したけど、今回の異動は大異動で、前述の綱引きはそんなシンプルなことでもないんだな・・・
という事が分かった6月上旬。
色んな事が潜在していたんだな。
で、今頃思い出したゴールデンウイークの頃に飛び込んできた記事。
まず、文字面でのインパクトではなく、ビジュアルでのインパクトでGW狭間の出勤中の私の頭に衝撃を与えてくれた。
ピンク・・・!!
ピンクの汽車!!
後日談 [ライフ]
先日、重たいアップデートのことを書きました。
もっと、性能のいいモバイルPCを買うためにJRAのお馬さん、特にMY注目馬に検討してもらいたいところですが、先週の稼ぎでは筐体程度の資金しか集まっていません。
ならば、安物買いしてしまったモバイルPCにはまだ奮闘頂かねばならず、モバイルPCだからこそ、システムの脆弱性は許されず、重たいアップデートを終了させねばならない。
出張がない平日は、自宅で寝たままのモバイルPCを起こして、前回更新未了だったアップデートを実行。
時間はかかりつつも、順調にこなす。
WEB上で色々言われていたので覚悟をしていたが、その時を迎える。
再起動して・・・
JRA-VAN POG '18 [競馬]
PCとスマホ(PCで契約していれば無料)に入れている競馬のソフト。
データ面だったり、お気に入りの馬の出走を管理してくれたり。
月額864円
そんなJRA-VANが主催するペーパーオーナーゲーム、新シーズンが始まりました。
余計なお世話かもしれないけど [ライフ]
親父が言っていた。
商売はピークを迎えた時点で、次のことを考えていないと間に合わない。
親父は事業主でいる間に闘病生活に入ったが、撤退も視野に・・・いや撤退「を」視野に営業を続けた。
貯蓄も借入も、売掛も買掛もあり人様に迷惑をかけることなく逝ってしまい、母子家庭でも育英会奨学金を借りながら大学を卒業、随分前に完済もしている。奨学金を借りなくても通えたけど無利子だったのでお借りしました。ほかにも大学の奨学金制度で返済不要の奨学金も頂いたけど、金額の割に拘束時間が長く(面接やら報告やら)、その時間にアルバイトをした方が気が楽だということで1年で断った。
親父がやっていた店は、親父は生前から閉めるつもりでいたので、伯父・叔父らがその手続きを進めた。
従業員には知り合いの同業にお願いをしており、快く引き受けてくれたのだが、一人の従業員が店を引き継ぎたいと申し出た。
金銭面については精算し、今ある場所で同じ看板で、常連さんに期待して。
親父が店のピークを感じていたのが死ぬ5年前。
もしかしたら、生きていても店を閉めていたかもしれない。
一年で店のあった場所から看板が下ろされた。