そうだ、また京都1509初秋(9) 高桐院その2 [紀行]
大徳寺の塔頭である、高桐院を訪れました。
参道を通り、いよいよ内部へ。
靴を脱ぎ下駄箱へ預け、拝観料を納めます。
あ、書き忘れましたが、お寺を巡る時は靴の脱ぎ履きをしやすいものを、そしてくれぐれも穴の空いた靴下は履かないように(笑)
結構、目立ちます(笑)。
中に上がると目の前に中庭。そして左右どちらにも行けます。
そこでまずは方丈前庭を目指して左に曲がります。
そこで!
ずっと気になることがあったので、処置を開始します。
カメラバッグを置き、制汗ウエットティッシュを取り出します。そう、今年のお盆の京都散策で活躍した残りです。
この日もソコソコ暑くて、丈の短いズボンを履いています。
肌が露出している部分が痒い痒い。
はい、蚊に刺されました。痒い。
見てみると、スネやふくらはぎが喰われている。先ほど通った参道は竹林。そこの蚊ですね。
気を紛らわせる為に制汗ウエットティッシュで拭くことを思いついたのです。
ああ、すっとする~。
しかし、痒い。痒みは取れない。
我慢して見学を続けます。
蹲(つくばい)が見えます。
加藤清正が細川忠興に贈ったものと言われています。
加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰った石で作られたといいます。
尚、細川忠興自身も文禄の役では出兵しています。
実は加藤清正が持ち帰った石・・・は同じ大徳寺塔頭である総見院にもあります。
そちらは井戸。非公開で入れません。
そんなに石を持ち帰ったのだろうか???
と、どうやら本当のようです。
加藤清正だけでなく島津義弘も持ち帰った石で臼を作っています。
どうやら、船のウエイトレイシオの関係があったようですね。
そうだ、また京都1509初秋(8) 高桐院その1 [紀行]
今宮神社を出て、今宮門前通りを南下。
すぐに左手は広い大徳寺の境内となります。
目指す高桐院はその境内でも今宮神社に近い場所に位置しています。
西側の入口より境内に入ります。
大徳寺を前回訪れたのは昨年末。年の瀬も押しに押し迫った頃。
大徳寺には沢山の塔頭があります。その殆どが非公開。
そのような中、常時公開をしている塔頭は四つあり、高桐院もその一つです。(他に大仙院、瑞峯院、龍源院)
前回の訪問では大仙院と瑞峯院に行きましたが、夕方拝観時間も終わりとなり、時間切れ。
今回は見逃した高桐院から見ていきましょう。
そうだ、また京都1509初秋(7) 今宮神社 [紀行]
大徳寺の塔頭、高桐院を目指して歩き、スマホに頼らなくても、もう大丈夫だと分かったので
寄り道をしようと思います。
鳥居が見えて参道を進みます。
両サイドのお店から威勢のいい女性店員さんがお参りのあとに、どうぞ寄ってくださいねと声をかけている。
水戸黄門のうっかり八兵衛ならば、間髪入れずに、「ご隠居、食べていきましょうよ」と言うに違いない。
名物のあぶり餅。
私はこの写真、右側よりに歩いていたので一文字屋和助さん側からのお誘いが。
老舗にあぐらをかかず、熱心に参拝客ひとりひとりに声をかける。
老舗・・・って、創業が西暦1000年。
うっかり八兵衛の時代どころではない、藤原道長の時代から営業しているお店か!!!
だけど、タイムスケジュールが押し気味なので雰囲気だけ楽しみパス。
反対側のかざりやさんでも近くを歩いている親子に声をかけ始めた。
よくある話ですが
一文字屋和助さんには『元祖』がつき、かざりやさんには『本家』がつきます。
しつこい客引きには興ざめをしてしまうのですが、何か清々しささえ感じるような2軒のしのぎ合い。
真ん中の石畳が非武装地帯のようで、一文字屋和助さんのお誘いを断った私に対して反対側のかざりやさんからは声がかからない。
これが老舗か!(かざりやさんは創業400年らしい。10世紀と4世紀だよ)
また、京都に宿題が出来た(壮大な前フリ)。
両方共食べ比べしないとね。
そうだ、また京都1509初秋(6) 迷い [紀行]
常照寺を出て、ちょっと悩む。
右に出れば、バス停があるのはわかっている。
下調べもしてあり、あと10分程度でバスがやってくる事も頭に入っている。
しかし・・・
実はこのバス、私が次に目指す場所は行かないのです。
途中で降りて、ちょっと歩くこととなる。
新幹線に乗っている時にスマホの地図を見ながら、どこの停留所で降りるべきかと悩んでいた。
すると目的地方面へ向かう途中に気になるスポットがある。
ならば、ここから歩こうか。
右に曲がればバス停だけど左に曲がり、歩き始めました。
そうだ、また京都1509初秋(5) 常照寺 [紀行]
光悦寺を出て、源光庵の前を通り、今朝降り立ったバス停の方へ緩やかに曲がる。
そのバス停の前も通り過ぎてすぐ、大きな「南無妙法蓮華経」とある石碑が見えてくる。
光悦寺もそうですが、日蓮宗のお寺。本阿弥光悦が熱心な法華教を信仰していたそうです。
檀林という文字。
そう言えば、源光庵の襖にも同じ文字がありましたね。
檀林は僧侶の学校という意味。
今から向かう常照寺もかつては多くの学僧がここで学んでいたそうです。
こちらも周囲と同じように紅葉の名所なのですが、もみじ・楓だけでなく
吉野桜や枝垂れ桜など、多くの山桜があり、秋だけでなく春も参拝客の目を楽しませてくれているそうです。
この時期は紅葉でもなく、桜色でもなく。
そうだ、また京都1509初秋(4) 光悦寺 [紀行]
光悦寺は源光庵より、歩いてすぐ。
山道の幅は決して広くなく、直前まで来てやっとわかったぐらいです。
この山道も紅葉で有名なスポット。
そうだ京都、行こうキャンペーンのポスターにもなっているかも?と思ったけど似たようなアングルがあり、違いました。
それでも紅葉シーズンになればこちらも多くの人で賑わいます。
紅葉とは無縁の今日ですら、なかなか人がいなくなるタイミングがやって来なかった。
そうだ、また京都1509初秋(3) 迷いと悟りと血天井 [紀行]
源光庵の有名な窓。
そうだ京都、行こうキャンペーンでは2014年の盛秋と1995年のやはり盛秋のポスターに採用されています。
やっぱり、この窓の向こうに紅葉が見えると格別なのでしょう。
角窓
別名、迷いの窓
四角四辺は人の生涯を表している。
生・老・病・死の四苦。
さらに愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦と合わせて四苦八苦。
座る位置を直します。
そうだ、また京都1509初秋(2) 源光庵 [紀行]
京都市バス 鷹峯源光庵前を下車。
歩いてすぐ。
先ほど、一緒にバスを降りた人は他のお寺さんへ行ったらしい。
今回の京都散策。
第一の目的地は以前訪れたことがある大徳寺。
2014年末、重森三玲さんの庭を初めて意識した瑞峯院さんも大徳寺の塔頭です。
その大徳寺の本坊が特別公開されているのです。
そして、もう一つ。
前回、8月に訪れた際に泉涌寺を下山し、もしかしたら間に合うか?
と、思いながらも閉門の時間を迎えてしまったお寺がある。
そのお寺は養源院。
秀忠から慶喜まで徳川2~15代将軍の位牌が祀られるお寺さん。
俵屋宗達の杉戸絵。
しかし、理由はそれではなく鳥居元忠が総大将を努めた、伏見城の戦い。
有名な血天井。
血が苦手な私。でも歴史は好き・・・というより正視しなくてはいけないという気持ちもある。
そこでルートを考えているうちに、伏見城の血で染まった床を弔いの為に方丈の天井に移した寺の一つである源光庵から京の散策のスタートにしようと思ったのです。
そうだ、また京都1509初秋(1) 出発 [紀行]
また、来た(笑)。
もう、当面こんなこと出来そうもないので、エイっと新幹線に乗りました。
随分とハードルも低くなりました。
で、今回の京都散策。
結論から言いますと・・・ここ数回の京都散策の中で最も『巧くいかない』旅となりました。
侮っていました。
さすがシルバーウイーク、人出が多い。多すぎる。
珍しくタイムスケジュールを組んだのに、それも訪問先で魅入って遅くなることも想定してタイムスケジュールを組んだのに、思うようにならなかった。
そうだ、京都行こう 2015盆(35)まとめ [紀行]
まとめとタイトルをつけました。
ですが、いざキーボードに指を乗せても、ちっともまとまりません(笑)。
だから、徒然なるままに指を動かしてみようか。
このエントリを書いているのは訪れてから1ヶ月以上経過しております。
タイトルに『盆』と入っていますが、書き上げているこの頃、朝夕は少し寒い日もあります。
とにかく、お盆の記事をお彼岸に書く事にならずにほっとしております。
大学生の頃から就職したての頃、京都にハマって、よくよく訪れたのですが、それ以降プライベートで訪れることがとんとご無沙汰になってしまった。
しかし、2012年7月に京都を訪れて以来、
2014年12月
2015年5月
2015年8月
と頻繁に訪れています。
それを可能にしているのは交通網の発展と体力の低下(もしくは加齢)。
新幹線も東京~京都間が2時間ちょっとで行けるようになりました。
ひかりではなく、のぞみが登場したのは就職直後の頃でしたからね。
2時間ちょっとというと、東京から御岳や秩父よりちょっと遠い程度。
そして、大学生の頃や就職直後は体力で金銭面を補っていていましたが、今の体力では旅の途中で無くなってしまうので、夜行バスや安価設定の列車を選択することはほぼ無くなりました。その結果、京都は秩父・長瀞や御岳・奥多摩観光とほぼ差がない位置づけになったのです。
そうだ、京都行こう 2015盆(32)翼 [紀行]
泉涌寺さんを出て、先ほど来た道を居ります。
この山自体、泉涌寺さんであり、その塔頭が沢山あります。
頭に入れていた地図を頼りに歩きますが、やや心配になってきました。
見えてきたのは来迎院さん。
そうだ、京都行こう 2015盆(30)御寺 [紀行]
東福寺を出て、東福寺三橋の一つ、臥雲橋を渡って山を下ります。
前に来た時は雨だったよなぁ。
今回は暑いけど、傘をささずに済むというのは楽だったなぁ。
時計を見て、そろそろ寺社は閉門が気になる時間になってきた。
まだ、行けるかな。
いつか、紅葉の頃に来るぞ。
さりげなく、リベンジ? [ライフ]
図書館戦争のドラマ版って、いつ放映だっけ?
と、調べたら10月だった。
映画版はたぶん映画館で観ようということにはならないかな、と思っているので
ドラマ版への期待の方が高かったりする。
特に今回のお話の部分も。
そして、もう一つ気がついた。
そうだ、京都行こう 2015盆(29)東福寺再訪 [紀行]
今年のGWに訪れたばかりの東福寺さん。
重森三玲が手がけた本坊庭園、八相の庭。
今日一日、いろいろな場所を訪れ、その中でも色々な庭を見て、素人ながらに重森三玲の庭になぜ惹かれたのか考えていました。
そして、直前に訪れた芬陀院にある重森三玲による復元した庭と創作した庭が隣接し連続して見たときになんとなく自分の中での選り好みに気がついた気がする。
だから、重森三玲の庭の代表作でもある八相の庭を見ながら考えようと思いました。
この先は庭園に全く知識が無いまま、でも興味を持ち始めている男が勝手な感想を述べているだけとなります。
知識がある方はどうぞ、笑ってやってください。
興味のない方はどうぞ、先に進まずスルーしてください。
Rain Rain [ライフ]
京都散策の記事、土日に下記ダメしとこうと思ったけど、通院もあり作業捗らず。
そして、昨日の記事でストック無しに。
次に書こうと思っていることは、ちょっと自分の気持ちを文字にするのに工夫がいるのでヤッツケでは書き上げられない。
ここのところ、仕事で時間に余裕が無く、ブログに時間を取られすぎる事を避けたい。
なので、今日はヤッツケ雑感のような記事を。
どうも「言の葉の庭」に関するキーワードからのアプローチが多い。
そうだ、京都行こう 2015盆(28)偃月橋 [紀行]
立ち寄ったのは東福寺さん。
ゴールデンウイークに訪れた際には、東福寺三名橋である
「臥雲橋」「通天橋」は渡りました。
しかし、「偃月橋」は渡っていませんでした。
非公開と思っていましたが、非公開なのはその先の塔頭であり、橋自体は渡れます。
そこで、東福寺さんの境内に入り、方丈の横を抜けて偃月橋を目指したのです。
そうだ、京都行こう 2015盆(27)雪舟と三玲 [紀行]
光明院さんから北を目指して歩きます。
今年5月に東福寺さんに訪れた際に利用した日下門で西に折れます。
やってきたのは芬陀院さん。
やはり東福寺さんの塔頭です。
さてと、唐門の前に立ってカメラを構えようとするとご夫婦らしい二人が出てきました。
説明書きを読みながら、通り過ぎるのを待ちます。
別名 雪舟寺。
あの“画聖”雪舟です。
後で頂いたパンフによれば、雪舟は東福寺の末寺である備中宝福寺で幼少期を過ごしたそうです。
そして本山を訪れる時にはこの芬陀院に起居したとの事。
芬陀院の大檀徒の要請に応えて、作庭したとのこと。
この情報を得て、思わず美玲を結びつけてしまう。
そうだ、そうだ、そうだ、京都行こう [記事一覧]
大学生~就職直後くらいにはちょくちょく訪れていた京都。
しばらく間が空き、2012年の夏以降、カメラを持って頻繁に訪れるようになりました。
JR東海さんの京都キャンペーンのタイトル、「そうだ、京都行こう」
にちなんで、
そうだ、京都へ行こう と余計な文字を入れたり、句読点の位置を変えたり、行こうの代わりに違うフレーズにしたり。
ただ、ここ最近のカメラブラブラのペースが早くなりました。
少し、時系列が混乱するのでちょっとまとめておいておきます。
そうだ、京都行こう 2015盆(26)自尊心を持つ庭 [紀行]
鳥羽街道駅からのんびりと歩いていきます。
坂を上がると見えてきたのが、目的地である光明院さん。
重森三玲さんの手によるお庭、波心庭があるお寺さんです。
東福寺さんの塔頭であり、GWに東福寺さんを訪れながら事前調査不足で立ち寄っていなかったのです。
これが良かったのかもしれません。
NHKの日曜美術館で重森三玲さんの特集が組まれた時に、このお庭が紹介されていました。
行きたい。
そして、お盆に光明院さんに訪れました。
※写真はお庭しか撮っていないので、外観や内装、看板の写真はありません。
先ず、光明院さんで私を待っていたのは立て看板。
NHK「日曜美術館」で光明院さんのシーン、最初にも写っています。
多勢入山者は好みません。
庭の自尊心を傷つけますので是非にと思われる方以外
どうでも良いとも思われる方は自問の上入山しないで下さい。
尚皆様方を信じて居ります故諸作法をお守り下さいますようお願い申し上げます。
結果的に今回の旅行で一番の収穫とも言えるのが、この看板と対峙したことかもしれません。
そうだ、京都行こう 2015盆(25)夏なんだよね。 [紀行]
久しぶりのかき氷。
露店のかき氷は本当にいつ以来だろうか。
子供の頃はイチゴかメロンなら常にイチゴ。
一体、どこがイチゴ味なんだろうという議論はさておき、冷たい。
ああ、美味しい。
食べているうちにドンドン溶けていく。
ああ、待ってくれ。
と、童心に返って屋台のかき氷を堪能しました。
少し、回復。
ちょっとお腹が減ってきたかな。
時間は既に13時半。強い日差しが食欲と共にビールを誘ってくる。
うーん、駅周辺で京都らしい・・・にはもはや拘らず探してみるか。